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2004.12.20

根本敬 「因果鉄道の旅」

濃密なる無駄話

根本敬 「因果鉄道の旅」(1993)
根本敬
「因果鉄道の旅」
特殊漫画家。それが根本敬の肩書きである。ガロでデビューし、ストイックなまでに裏街道を邁進し続けるひとだ。根本敬に出会ったのが 「因果鉄道の旅」 (1993) だったのでそれ以前のことはほとんど知らない。たまに解らないなりに楽しんで読んだガロでヘタな絵のマンガがアタマの隅っこにこびりついているだけだった。

なぜそんな予備知識もほとんどないような漫画家の活字本を手に取ったのかはわからない。街灯が虫を呼び寄せるように本がわたしを呼んだのかもしれない。根本敬流に言うならば磁場に引き寄せられたということなのだろう。

「因果鉄道の旅」にはイイ話がたくさん載っている。しかしイイ話だからってハンカチ片手に読むものではない。むしろそのハンカチは涙を拭くものではなくイイ顔をしたオヤジ達から発せられる強烈にイイ臭いを防ぐために使うほうが正しい。

捨て犬 500頭をあつめて保護するしおさいの里なんて普通ならお涙頂戴的なハートウォーミングなエピソードになるはずなのに、根本敬というフィルターを通して伝わってくるのはしおさいの里というのは的外れな正義と尺度の狂った道徳観に支配されたこの世の果てみたいな場所だということだ。事実 1992年にしおさいの里には保健所が立ち入り検査が入っていたらしい。

他にも超能力演歌歌手サバヒゲや自分の初体験を濃密に話し始める老人そして自分の母親よりも年上の老女を手篭めにする男の話など、生きていく上で知る必要のないことがこれでもかとばかりに書かれている。そう、この本ではそういった強烈な人たちが主人公なのだ。

根本敬はあくまでも伝道師として手間の暇も経費もフィールドワークも惜しまずに自らそういう磁場に飛び込み、体験したことを記しているだけなのだ。強烈な個性の持ち主のエピソードをいくつも集めたものだから、この本からにじみ出るクセの強いオーラは相当に読み手を選ぶ。


村田藤吉という不条理

根本敬 「天然 (完全版)」(1998)
根本敬
「天然 (完全版)」
根本敬のマンガでは、キャラクターが使い回しされる。いわゆるスターシステムといやつで、絶対的弱者の村田藤吉とその家族が理不尽強者の吉田に生活や人格の全てを支配されるというのがテーマになっている。

根本敬のマンガは不条理といわれているのかもしれないが、「生きる」「天然」 といったマンガで表現されているのはいわゆる吉田戦車に代表されるようななんだかわかんないけどおもしろい不条理ギャグのそれではなく、蛭子能収のような日常が日常を保つことで登場人物や世界が突然変異を誘発されるような不条理ではない。もちろん吾妻ひでおの SF チックな不条理とは完全に異質なものだ。

根本敬が「生きる」や「天然」で表現したそれは表現の手段としての不条理ではなく、ひとの生まれ持った業というか、弱者はなにがあろうとも弱者であり、どんなに努力しても弱者でしかないという真理とも言うべき世の中の不条理さなんである。

いまの世の中にはないことになっている不幸を突き詰めた救いようのない不条理さであり、これはトリコ仕掛けの抜け出せぬ負のスパイラルに身をゆだねる村田家のテーマとも言える。それでも負けずに家族愛をもって生きていく村田一家は悲しくも美しい。


読んではいけない。感じるのだ。
最近はコラージュを多用して不条理を超えた内容へとシフトしている。最新刊である 「命名」 は 2004年12月に発売されたばかりで、これは書き物ではなく一応、マンガ本。しかしアックスに連載されていたものとは大きく違うらしい。

らしいというのはわたしがアックスで連載されていた原稿を見ていないからで、オビに史上最大の大幅加筆・修正・訂正・差替えとかかれているからそう判断するしかない。そしてその史上最大の大幅加筆・修正・訂正・差替えの結果「命名」はマンガではなくなった。いわゆる娯楽としてマンガではなくこれはアートなのだといいたいわけでは、もちろんない。

「命名」を開くと、最初の 3ページであらすじと称して活字でストーリーが書かれている。あらすじどころか約 3000字でその後に続く 170ページものマンガをすべて説明している。便宜上マンガと表現したが、読まれることを拒否している絵柄や写植やストーリーはもはやマンガではなく一冊の書籍の姿を借りた根本敬の思考の断片でしかない。

「命名」をマンガとしてきちんと読むのは集中力がいる。集中力というよりは精神力といってもいいかもしれない。しかも読みきったところで、何もない。なんせ最後のコマの前が「100コマ程略」されているのだ。読者として読むことを放棄することがこの本への回答なのだろう。もちろんこれはこの本から読み取ったこの本の有り方としてのわたし個人の真理であり、他のひと読めばまた違う真理を見つけるでしょう。結局のところ解釈に正解なんてないんだもの。


始発駅でもあり終着駅
「因果鉄道の旅」という本は根本敬が初めて出版した活字の本にも関わらず、その後 10数年経った現在に至るまでの全てのエッセンスが詰めこめられている。勝新、ぴんから、韓国、奥崎謙三、蛭子能収そしてドヤ街のイイ顔のオヤジ達。

この後の佐川君やそのほかのオヤジとの出会いも含め、根本敬は磁場に引き寄せられて幻の名盤開放同盟や夜間学校といった活動を通じて活動の場を少しずつ広げながら常に一定の速度でイイ顔を観測しつづけている。

もはや根本敬は表現としてマンガや文章を書いているのではない気がする。「因果鉄道の旅」にはじまった人物観察の系譜はや幻の名盤開放同盟における歌謡曲の発掘は「観察」や「発掘」として分かりやすく納得できるが、「命名」のようなマンガの形態を装った思考の表現の場合は、根本敬本人による根本敬の脳内を観察した結果として誕生した作品のような気がしてならない。

ひとを観察するあまり自分の思考すらも自分の観察者としてのフィルターを通して読者に伝えるようになった人物、それが特殊漫画家根本敬なのだろう。観察というキーワードを軸に、現在の、そしてこれから未来の根本敬の活動はすべて「因果鉄道の旅」に回帰するのである。

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根本敬 「夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト」(2003)
根本敬
「夜間中学」
ちなみにわたし、「因果鉄道の旅」 の初版本を持っていたんだけど知人に貸したらいつのまにか音信不通になってしまったので買い直しました。同じ CD を何枚か買ったことはあるけれど、書籍でそういう 2度買いはこの本だけです。ただ、全ての人に薦めているわけではありません。わからない人には決して理解することのできない世界もあるということです。ついでに言うと理解できるからといってそこからそれがプラスに作用するとは思いません。

2003年12月に出版された 「夜間学校」 はエッセイ風の短い文章で構成されているので入門編としては最適だと思います。これからステップアップして「因果鉄道の旅」に進むも良し、いきなり「因果鉄道の旅」で根本敬ワールドにチャレンジするのも一興です。

関連リンク
- 因果鉄道の旅とマンガ
- 根本敬歳末フェア命名@タコシェ 2004年12月18日(土)~30日(木)

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